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「歴史ネットワ-ク」

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しゃべるウサギ

灯~Akari【和洋中歴史風&歴史創作系イラスト/小説検索】

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2007年12月 2日 (日)

琵琶湖伝162「菊料理と高虎と」

琵琶湖伝162「菊料理と高虎と」

「意外と菊も食べられるものですね。うまいです」

先ほどまで泣いていた良之介は、気分転換がうまいのか、明るい顔で満足げに菊料理に舌鼓を打つ。

「うんそうだな。正英、敵のことが気になろうが悩まず、今は大いに食べてくれよ。どうせわしのおごりだからな」

藤堂高虎は、陰鬱な顔をしている正英を気にかけてやる。

日吉大社で、高虎と出会った正英は、急ぎ京に行かねば、反徳川派の者たちが何をしでかすかわからぬ状況と高虎に進言するが、高虎は笑って、

「今の京都で白昼堂々と事を起こす人間などおるはずがない。夜、それも闇討ちのような形でなら起こるだろう。急ぐ必要はない。それより、せっかく坂本に来たのだ。この時期だけの料理に菊料理というのが、ここ坂本にはある。わしに付き合え」

といい、馬に乗った。

梶川小兵衛に、馬をもう二頭さがして、西教寺の近くの料理屋に来るように命じると、のんびりと馬を日吉大社からそう遠くない西教寺にむかって歩ませ始めた。

西教寺(さいきょうじ)は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は高いとは言えまいが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、多くのの末寺を有する名刹である。

明智光秀が坂本の地を支配した縁で、光秀の墓所があるところとしても知られている。

坂本では、昔より「菊を食べないと秋を迎えた気にならない」といわれるほど、松茸や栗より身近な秋の味覚のひとつとして、この土地でだけ栽培されている食用の「坂本菊」があり、鮮やかな色目と香り、しゃっきりとした食感の坂本菊を精進料理で味わおうと高虎はいうのである。

店につくと紅葉も鮮やかな庭に通され、菊料理が出される。

献立は、

前酒:菊酒(菊を一年間焼酎に漬け込んだもの) 

酢物:菊のなます 

和物:菊の白あえ 

揚物:菊のてんぷら 

椀物:胡麻豆腐の菊あんかけ 

御飯:菊寿司 

吸物:菊のすまし汁 

香物:菊の一夜漬け 
というもので、二頭の馬を調達してきた梶川も交え、四人は坂本の秋を満喫する。

ただ正英はやはり、今後のことが気になりついつい浮かない顔になる。

そのたびに高虎が正英に声をかけるのだ。

食事を終え、高虎が話したことは、正英と良之介には驚きの連続であった。

高虎が坂本にいたのは菊料理を食すためで、正英らに会ったのは偶然だが、なんと昨日まで彦根で井伊家の情報収集にあたっていたというのである。

正英については忠勝の護衛役として、大阪城などで遠くからではあるが何度か見たことがあり、昨日彦根を出るときも街中ですれ違っていたというのだ。

「おぬしたちも、井伊家を探りにきていたのであろう」

と高虎から言われたときは、正英も良之介も、

「なぜに、お分かりに」

と返すしかなかった。

高虎は、表情を変えずにいう。

「同じ任務を帯びた同士と思うたから助けたのよ。日吉大社で殺された者も本多のものであろう」

「そうです。この良之介と同じ本多家のお耳役の者たちです。五名の者が死にました」

「殺したのは、井伊か公家どもか心当たりはあるのか」

「どちらかは分かりませぬが、実行したのは高西暗報という者だと見当はついておりますが」

正英は高虎の問いに答えていく。

「高西というは、朝廷内で暗器師として仕えている烏丸家の手の者でござる。要は高西暗報は殺し屋の手先でござる」

梶川小兵衛がいった。

「五人も死んだのか。その者たちを死出の旅路に向かわせたのは、わしであり、また京都所司代の板倉勝重かもしれん。いや絶対にそうだ」

高虎は、独り言をいうかのようにつぶやいた。

以下163に続く

2007年11月 1日 (木)

琵琶湖伝161「藤堂高虎」

琵琶湖伝161「藤堂高虎」

いつのまにか正英と良之介のまわりは、膳所藩の役人とその手伝いのものたちに囲まれていた。

その中の一人が、

「この者の知り合いであろう。他の四名の者のこともある。我らと同道して事情を教えてもらえぬか。時間はかけぬ」

といった。

その役人の後方から戸板に乗せられた四名の遺体がこちらに向かってくるのが、正英には、見えた。

(ここまでのことをやってのけた奴らだ。そのまま京に行き金地院様を襲うかもしれない)

正英は焦燥感に駆られた。

一刻も速く京に行かねばならぬ。

良之介を見た。

地面にひざまずき、呆然としている。

良之介を立たせてから、

「拙者共は、急ぎの用がある者。どうか何も言わず、この場を立ち去らせてもらえまいか」

と役人に頼んだ。

あくまで正英たちの行動は隠密行動であり、膳所藩は本多家と同じ譜代とはいえ、何を目的に行動しているかなど言えるはずがないのだ。

第一、本多家のものだといっても、それを証明するものを持っていない。

一日あれば本多家のものとすぐにわかろうが、そんな余裕を正英は持てなかった。

役人が断れば、周りの役人たちを投げ飛ばして、逃げるしかないと腹を決めていた。

当然だが役人たちが、見過ごせるはずもなく、正英の頼みはすげなく断られる。

「それもそうでござる」

正英はにこやかな笑いを振りまきながら、逃亡のための行動を起こそうとした。

其の時、

「膳所藩の方々、お待ちくだされ」

と見物人たちを掻き分けながら、二メートルはあろうかという四十五、六の恰幅の良い男と、百七十センチくらいの三十二、三の痩せているが精悍な顔つきの男が進み出てきた。

痩せた方の男が、声をかけたのである。

そのままその男は膳所藩の役人たちに何事かささやき、役人たちも納得したのか、正英と良之介にこの場から立ち去るように告げた。

大男の方が、

「良かったのう」

とうれしそうに言い、先導役となり三人が後に続いた。

参道が終わるくらいのところに馬がとめられていた。

そこまでくると、大男は立ち止まった。

「失礼だが、我らの難儀をお助けくださり、挨拶を申したいのだが、どちらの方々か、皆目見当がつきませぬ。どちらさまかお教えくださりませぬか」

正英は丁重に言った。

良之介もペコリと頭を下げた。

もう涙も乾いている。

痩せた男が、

「拙者は藤堂家家臣、梶川小兵衛。こちらの方は、伊予今治二十万石藩主藤堂高虎様でございます」

と紹介をし、正英と良之介は地面に頭をつくばかりに平身低頭で応じた。

藤堂高虎は、この年四十六歳。近江に生まれ、二十歳で豊臣秀吉の弟秀長に仕え、秀吉の天下取りとともに出世し、大和を中心に百万石近い大領を支配した秀長の家老として活躍。

秀長が死去すると、その養子である秀保に仕え、秀保の代理として翌年の文禄の役に出征し、軍功を挙げた。

しかし一五九五年、秀保が早世すると高野山に上って出家する。

だが、その将才を惜しんだ秀吉が召還したため還俗し伊予宇和島七万石の大名になる。

秀吉が死去すると、高虎は次の天下人は徳川家康であると判断、日本の平和のために家康の天下取りに大いに貢献していく。

関ヶ原戦後、その行動は大いに評価され、家康から伊予今治二十万石に加増移封され、現在に至っている。

その忠勝をしのぐ大名である藤堂高虎が、なぜ今この坂本の日吉神社にいるのか、そしてなぜ正英と良之介に助け舟をだしたのか。

その理由は次回のことになる。

以下162に続く

2007年8月19日 (日)

琵琶湖伝160「泣いてる良之介」

琵琶湖伝160「泣いてる良之介」

日吉神社で惨劇が起こっていたころ、正英とお香と良之介は大津まで到着していた。お香はそのまま長岡(現在の京都府長岡京市)の高明寺を目指し、まず京都に入るため山科への道をとる。お香は背中に結んでいた菅笠と竹杖をほどいて、笠をかぶり杖を持ち、
「それでは、しばらくのお別れを」
としおらしく言いながら、二人と別れた。
正英と良之介は、坂本に向かった。唐崎をすぎ、坂本に入ると至る所で紅葉の視界であった。
日吉大社は、比叡山系の最高峰・大比叡峰の東方に位置する八王子山(牛尾山)を含む山麓にあり、二人は八王子山にむかって歩いていく。
吸い込むと胸が痛いほど、空気が冷たかった。
「見事な紅葉が続きますね」
良之介が感嘆の声を挙げる。
「うん」
正英も満足そうに頷く。
しかし、鳥の声もなく、異様な静寂が神社の参道を支配していた。二人は、一定のリズムに乗って参道を歩き続けた。その二人の傍らを人々が次々に追い越していく。速足で皆々が大鳥居のほうにいっている。正英は何となく不安な気持ちに駆られ、自然に足取りが速くなっていった。良之介も正英に合わせ、急ぎ足になっていく。
「大鳥居の方で何かあったのでしょうか」
良之介が、不安そうな顔で言った。
正英は、無言であった。何かあったのに違いない。大鳥居の前は黒山の人だかりだった。
背の高い良之介が人ごみを掻き分け、正英がそのあとに続いた。先頭に出たとき良之介は突ったったまま、前方の地面に眼をやっていた。
正英も慌てて、前方を覗き込んだ。
「茂左衛門様……」
良之介が低い声で叫んだ。
茂左衛門と呼ばれた男は、俯伏せに倒れていた。背中に刺し傷があった。流れた血が乾いた地面に、黒いシミを描いていた。
しかし、まだ死んではいない。かすかな動きがあった。
(京に入る前から修羅の道が始まっていたとは)
正英は暗澹たる気持ちになったが、眼の前の同士を見捨てて行くのは忍びないが、ここは表立って騒がず良之介と京に行くしかないと腹を決めた。しかし、若い良之介の思いは正英とは違っていた。
良之介はお耳役の立場をわすれ、介抱にあたる数名のこの地域を管轄する膳所藩の役人を無視して走りよったのだ。
「死して屍(しかばね)拾う者なし」という忍びの原則を忘れたのである。
正英は良之介の腕を押さえて止めようとしたが、間に合わなかった。
仕方なく正英も続いた。
「茂左衛門様、しっかりしなされ」
良之介が、茂左衛門を抱き起こした。
茂左衛門の顔に、血の気はなかった。良之介がさらに声をかけると、茂左衛門は、目を開いた。
もう何も見えない目が、まったく動かずにいた。
「突然、体がしびれてきて、他の四人はその場に倒れ、動かなくなったが、わしは、なんとか起き上がりここまで逃げてきたのだが。相手は二人組だった。一人は坊主頭」
茂左衛門の唇が、重く動いたが、そこまでだった。茂左衛門の上体が、良之介の膝の上から落ちた。絶命したのである。
目を見開いたままの茂左衛門のまぶたを良之介は合わせてやってから、遺体を地上にゆっくりと置いた。
「茂左衛門様は、私がお耳役を始めたときに、お耳役のいろはを教えてくれた方です」
良之介はつぶやくように言う。正英は、茂左衛門の傍らに見事に紅葉している木の葉が、数枚落ちているのが気になり、拾ってみた。
その木の葉についた匂いは、明らかにあの草津の街道でめぐりあった、高西暗報のしびれ薬の匂いであった。
「正英様、体がしびれたとは、まさか高西・・・・・・」
良之介が眼に涙を溜めながら問いかける。
「すまん。お前の言うとおり草津で殺すべきであった。あやつは自分の力を誇示するため、証拠を置いていった」
正英は、しびれ薬が染みている木の葉を良之介に見せた。

以下161に続く

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