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灯~Akari【和洋中歴史風&歴史創作系イラスト/小説検索】

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2007年5月30日 (水)

琵琶湖伝百三十七「堅田湖族衆」

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琵琶湖伝百三十七「堅田湖族衆」

才蔵が去って数時間。

午前四時の湖西を抜けてゆく街道を通る人影など、どこを見回してもあるはずがない。

ただ月の光が、草の波を銀色の海に見せるばかりである。

「オヒヨォッ」

うめくようになんとも言えぬ声を発しながら、闇の底からすっくと起き上がったものがいる。

高西暗報である。

立ちくらみでもしたのか、傍らの地蔵様の頭に手を置き、二三度頭を振る。

そのあと両手を挙げ深呼吸をし、

「こんな風にすぎていくのなら

いつかまたどこかで誰かに出会うだろう

何もかも隠してくれる

夜のとばりをくぐり抜ければ

今夜ほど寂しい夜はない

そうさ今夜は世界中が雨だろう」

浅川マキの「こんな風にすぎていくのなら」を口ずさみながら、まだおぼつかない足取りで、月明かりを頼りに唐崎にむかい歩きだした。

いったいこれは、どういうことなのか。

才蔵は、暗報の死を確かに確認したはずである。

なのに、なぜ。

それは才蔵の常識をはるかに越えた暗報の凄さと言うしかないことであった。

暗報は、立ちふさがる才蔵の腕を冷静に見極め、まともに戦えば分が悪いと判断し、東命寺派の奥義を極めた毒使いしか創ることができない、秘薬「黄泉参り(よみまいり)」を、心筋梗塞の発作の芝居をしながら倒れこんだ時に飲んだのである。

「黄泉参り」は瞬時に使った者を死に至らしめる。

ただし、数時間後にはその者を蘇生させる薬であり、まさに黄泉の国、あの世に行ってこの世に戻ってくることから、「黄泉参り」という名がついたのである。

その暗報が、山内記念と霧隠才蔵に連れられて青葉屋に戻ったのと同じ時刻に、井原正英と市来良之介は近江堅田(滋賀県大

大津市

堅田)に入っていた。

堅田は琵琶湖最南部大津の近くでその両岸の幅の最も狭いところに位置する。、近江八景「堅田落雁」 で知られる浮御堂は現在でも有名な景勝地だが、古代から中世と、その位置的優位性から、湖上交通の要衝として栄えていく。
中世以後堅田荘には「堅田三方」(後に一つ増加して「堅田四方」となる)三つの
組織が形成され、殿原衆(地侍)と全人衆(商工業者・周辺農民)からなる「堅田衆」による自治が行われており、「堅田湖族」とも呼ばれてもいた。殿原衆は堅田の水上交通に従事して堅田船と呼ばれる船団を保有して、時には海賊行為を行って他の琵琶湖沿岸都市を牽制しつつ、堅田衆の指導的な地位を確保していた。一方、全人衆の中には商工業によって富を得るものも多く、殿原衆との共存関係を築いてきた。
堅田衆は戦国時代の後期には、近江を支配した織田信長、そのあとの秀吉の支配のもとで中世ほどの発展はなかったが、それでも徳川期になっても湖上交通の要衝として経済的な富は蓄積されていった。
一六一七年には、幕府が直轄地として大津代官所を設置し、堅田は大津代官に従属した。

正英と良之介は、堅田にはいったのは良いが、お香の家を知らず、お香の父が堅田水舟拳の使い手であるとともに堅田湖族衆総代という高い地位の人間であることを思い出し、夜遅くもあいている居酒屋や旅籠を聞き聞き、なんとか浮御堂の手前にあり、高い黒塀に囲まれた大きな家だとわかった。
浮御堂は堅田の湖中に浮かぶ御堂であり、約1,000年前に開かれたといわれる寺で、大津の代表的な景勝地である。}近江八景『堅田の落雁』で名高く、老松に調和して建つ浮御堂の姿は、実に風雅。
そのすぐ近くの岡本邸を目指し、民家の並ぶくねくねと蛇行した道を歩いていく。
茶店がまだあいていて、道の確認をすると、この道をまっすぐ行けば、岡本邸とのことである。
安心してそのまま行くと、黒塀が続く大きな家にたどり着いた。
入り口には提灯が掲げられ門番までいた。
ちょっとした大名の屋敷のような雰囲気である。
岡本様のご息女の知り合いと、門番に二人が、お香への取次ぎを頼むと、訝しそうな顔で屋敷に戻っていった。
戻ってきたときは、笑いながら、お香様の許嫁(いいなずけ)とはしらず失礼の段お許し願いたいといい、主人岡本邦源が一献差し上げたいと申しておりますからどうぞこちらへと、二人をさそった。
正英と良之介は、門番のあとについていく。
以下百三十八に続く

2007年5月28日 (月)

琵琶湖伝百三十六「秘薬 黄泉参り」

琵琶湖伝百三十六「秘薬 黄泉参り」

宮内平蔵を助けた者たちはいったい何者であったのか。

山内記念が聞いたところでは、平蔵を追う暗殺隊の前に十名の敵が立ちはだかり、大乱戦になったという。

その中で暗殺隊も三名が死んだが、邪魔にはいった敵を五名切り倒し、あとは逃げたが、一人が「植山」という言葉を死ぬ前に吐いた。

しびれ薬から覚め、通りにでてきた喜市包厳が、

「それは植山衆のことであろう」

と推測した。

植山衆とは、大化の改新以前から烏丸中将家に仕える暗殺集団であり、卍手裏剣を多用する。

現在の植山衆の頭領は、植山仁斎であった。

喜市の推測は当たっていた。

植山衆は、京都所司代が伊賀者を使い、烏丸中将家を監視していたように、京都所司代を見張っていたのである。

そしてただならぬ所司代の動きを見て、植山仁斎は急ぎの7ことで人数も集まらなかったがなんとか十名のものを集め、遅ればせながら暗殺隊のあとを追い、事に備えて近江屋近辺に待機していたのだ。

ちなみに宮内平蔵を馬で助けた者は、植山仁斎自身である。

この植山衆の参戦で一番得をしたのは、高西暗報であろう。

暗報は平蔵と逆の方向に逃げたのち、何の妨害も受けず、さきほど平蔵と部屋で最後に交わした「夜の雨に松」を求め、おち合い場所の唐崎神社を目指していた。

唐崎神社は大津宿を琵琶湖にむかい西に行けばすぐであり、日吉大社の摂社で、近江八景のひとつ「唐崎の夜雨(からさきのやう)」で知られる景勝地である。時代はこの琵琶湖伝第二部の一六〇二年よりあとになるが、松尾芭蕉が「唐崎の松は花より朧にて」と詠んだほど松で有名な神社であった。

雨もやみ、月も出てきた夜道を、その唐崎にむかい、軽い足取りで水溜りを避けながら暗報は歩いていく。

その月を背にして、暗報の正面に立つ人影があった。

暗報は立ち止まり、闇に覆われた顔に眼を凝らした。

その顔は、あの草津の街道で優しげな言葉で己を助けてくれた百姓のうち、万作という名の若者であった。

「おい、万作だったよな」

暗報は、気楽に声をかけた。

「わしはあまり心臓が強くないのだ。太りすぎでな。だからびっくりさせんでくれよ」

暗報は、突然に道をふさいで現れた若者に注意をするような口調である。

「俺の名は霧隠才蔵だ」

才蔵は、暗殺隊の植山衆との混乱の中で唯一、暗報の動きに気づき、追いつくことに成功したのだ。

「君はわしにウソをいったのか。わしはお前たちの情けに涙を流して喜んだのだぞ。それがすべて、わしに平蔵の居場所を教えさせるための芝居だったとは。おじさんの心を傷つけて、うれしいのか」

「何を意味不明な。おぬしらに殺された伊賀者の仇をここで討たせてもらうぞ。覚悟せい」

才蔵は、そういいながら、刀の柄に手をかけ、ツツツッと前進する。

「おぬしは、わしの心を傷つけたの・・・・・・・」

暗報は、同じことをまた言い出したが、呂律が回らなくなっている。

「オギュン、ニャオフンゥ・・・・・・」

何を言ってるのかわからぬまま、月光に照らされた暗報の顔は、青白く血の気が引いている。

そのまま心の臓のあたりを押さえてうずくまり、暗報は水溜りのなかに倒れこんだ。

才蔵は、芝居でもしているのかとしばらく、様子をうかがう。

身動きひとつしない。

用心深く背後にまわり、泥だらけになった暗報の顔を覗き見る。

瞳孔が開き、脈もみたがしていない。

明らかに心臓の発作に襲われ、才蔵が仇を打つ前に、絶命してしまったのだ。

才蔵は、

「フゥー」

と大きくため息をつき、暗報を抱えて近くの地蔵様の傍らに仰向けに寝かせた。

「南無阿弥陀仏」

運命のどうしようもない不思議さを感じながら、念仏を唱えると、暗報の亡骸から離れ、立ち去っていった。

以下百三十七に続く

2007年5月27日 (日)

琵琶湖伝百三十五「山内記念」

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琵琶湖伝百三十五「山内記念」

山内記念は、所司代の中では、

(さえない男

)

であった。

己の十手の技を練習試合などでひけらかすでもなく、淡々と同心として犯人捕縛に勤めているだけだ。

小悪党を捕まえるのに技をだす必要もない。

だから周囲の同心と記念の実力差など誰も気づかない。

所司代の評価もせいぜい「並」程度であった。

今度の暗殺隊へ呼ばれたのも、腕達者の一人くらいで、同心の責任者役を言い付かったのも、「年長者」だからだった。

しかし、記念自身は、やっと己の力を発揮できる場を与えられたと思っていた。

すでに四十を越え肉体的衰えを感じつつあるこのごろ、少年の時からひたすら修行に明け暮れてきた十手の技を一度も実戦で使うことなく、老いていくのかと、「焦燥感」すら覚えていたのだ。

「新免無敵」の鉢巻きは、己の意気込みを記念なりに象徴させたものである。

その鉢巻きをした山内記念は体の力を抜き、左右の手に一本ずつの十手を持ち、降りしきる雨の中で、走ってくる宮内平蔵に眼をやりながら立っていた。

突然、雨の音が遠のいた。

雨足が弱まって、ピタリと雨がやんだ。

急に水溜りを駆けてくる足音が記念の耳に飛び込み、その刹那、宮内平蔵の裂ぱくの気合を込めた太刀が、袈裟懸けに振り下ろされた。

記念の両腕から、キラリキラリと光が動いた。

平蔵の刃(やいば)を右手の十手の鉤(かぎ)の部分でくいとめるや、そのまま右腕を肘を中心にしてひねると、平蔵の一刀は、ポキリと折れてしまう。

同時に左手で平蔵の右手首をしたたかに叩く。

普通なら左手で頭蓋骨を叩き割るのだが、凄腕の剣客なら折れた剣の残りの部分を体ごとぶつけて相手の首筋を狙いかねず、まず刀を手からはなさせることに、全力を記念は傾注したのだ。

あまりの痛打に平蔵は、握っていた半分に折れた太刀を地に落とした。

休まず記念は、平蔵の股間を蹴り上げた。

(蹴り上げたあたりで何やらつぶれる音がし、平蔵は鼻や口より血を吐きながら倒れる

)

はずであった。

しかし、蹴りは浅かったのである。

もちろん平蔵は、その痛みから記念に背中をみせたほどだが、「つぶす」までではなかったのだ。

なぜか。

蹴り上げようとする記念の首筋にむかい、一条の光がむかってきたのだ。

その光を十手で払ったぶん、深い蹴りができなかったのである。

さらに二本の光を地に叩き落とす。

卍形の手裏剣であった。

「宮内殿、大丈夫か」

二人の男が平蔵を抱きすくめた。

「ウゥッ、すまん。不覚だ」

平蔵がかすかに声をだす。

馬に乗った男が現れ、瀕死の平蔵を馬に引き上げ、そのまま走らせ始める。

追いすがろうとする記念に、残った二人が応戦し、その間に馬は去っていった。

    ・・・・・。

このあとの状況を見た所司代の同僚の話によると、悪鬼の形相で立つ記念の足元に、頭を割られた者と顔の形が無くなった者との二名の死骸があったという。

恐る恐る記念に声をかけると、すぐに普段の穏やかな顔になったそうな。

以下百三十六に続く

2007年5月23日 (水)

琵琶湖伝134「雨中の脱出」

琵琶湖伝134「雨中の脱出」

通りで待ち受けたのは、暗殺隊のうち十名。

暗殺隊は近江屋に探索をあきらめ戻って来た者や膳所藩の応援六人を含めて、二十人。

喜市包厳は、膳所藩のものと伊賀者を引きつれ内部から攻め、外へは山内記念以下のものを配置していた。

その配置の真っ只中に、宮内平蔵は降り立った。

平蔵は、顔を上に向けた。

雨が、妙に顔に痛い。

暗殺隊の一人が、ズブ濡れになりながら斬り込んで来た。

平蔵は、横殴りに太刀を振るった。

斬りつけて来た者の胴が割られ、その刀が雨の中を高く舞い上がった。

男は地上に転がったが、かすかなうめき声は、雨の音に消された。

水溜まりが、赤く濁る。

宮内平蔵は、走り出した。

そして走りながら、太刀を左の逆手に持ち替え、右手を柄頭に添えた。

平蔵に追いすがろうと左側から来た男に、その太刀を繰り出した。

脇腹を突かれて、男は通りの店の板戸にぶつかりながら転倒した。

下の通りの暗殺隊が、宮内平蔵の剣先で混乱したのを見た暗報は、脱出の好機と通りに飛び降りようするが、しびれ薬の白煙の中から、分銅がスルスルと伸び、暗報の首に巻きついたのである。

喜市包厳の持つ鎖鎌から放たれた、執念の一投であった。

「あら・・・・・・まぁ、うぅー」

暗報は、己の首の骨がきしむ音を聞いた。

「もう、だめぇー」

情けない声を出しながら絶命していく暗報だったが、天は暗報を見捨てなかった。

突如、分銅の締め付けが緩んでいったのである。

無念、無念、無念。

暗報のしびれ薬の威力の前に、喜市包厳が屈し、意識を失ったのである。

暗報は、首から分銅をはずすと、宮内平蔵を追っていくものたちを確認し、通りに降りると、首の痛みに耐えながらその逆方向に走っていった。

雨に煙る路上に、百姓姿ながら、白いたすきをかけ、青色の生地に赤い字で「新免無敵」と書かれた鉢巻きをしっかり額に結んだ男が、平蔵を待ちうけていた。

一人、他の者たちから離れ平蔵の逃げ道に先回りをしていた山内記念である。

山内記念は、十代のころより当代一の十手の使い手といわれた美作(岡山県北東部)の国宮本村の新免無二斎(しんめんむにさい)の元に年に何度も通い十手の修行に励んだ。

ちなみに新免無二斎は、後の剣聖宮本武蔵の父である。

三十を過ぎてのち同心の仕事が忙しく、宮本村に行けなくなり、それ以後十年間は新免流の十手術の練習を独学でおこなう。

昨年の暮れ、無二斎が、山内記念の家に、

「来年から豊前小倉藩の食客となる。九州に行く前に、お前の十手がみたくなった」

とふらりと現れ、記念の技を見て、

「わが技の継承者は、おぬしだ」

と免許皆伝の代わりとして青地に赤の「新免無敵」の鉢巻きを渡したのである。

以下百三十五に続く

2007年5月20日 (日)

琵琶湖伝133「青葉屋襲撃」

琵琶湖伝133「青葉屋襲撃」

「そうか、井原正英には、毒が効かぬのか」

宮内平蔵が、手酌で酒をグイッと飲み干していった。

「おそらく、あれは、わしと同じ毒使いだな。その修行の結果として、毒が効かぬ体になったのであろう」

「暗報さん、毒といってもしびれ薬程度で、死ぬような毒には耐えられぬであろう」

「そうだが、それはわしも同じ。なめるくらいなら大丈夫だが、木の葉がえしの木の葉に猛毒を塗ってしまったら、相手が死ぬ前にわしが死ぬからな」

暗報が、食っていた焼きおにぎりをのどに詰まらせ、眼を白黒させながらいったので、その様子に宮内平蔵も口元がゆるむ。

暗報は茶を飲んで、のどのつかえをとり、

「なにが居合いの達人だ。毒使いということも教えてくれんとな。危なく殺されそうになったのだからな。成幹様も中途半端な情報を信じられたものだ」

「しかし、あとの情報は間違っていなかったようですから、しかたないですよ」

「何がしかたないですよだ。わしの身になれ。怖かったんだぞ」

暗報は、青葉屋の土間で点欠を解かれて、自由になったあと、一風呂浴び、夕食をとりながらの、今日の報告をして、忙しかった一日の終わりをゆっくりとくつろいでいたのだ。

二人の部屋は通りに面した二階であるが、すでに午後九時。

昼間の賑わいがうそのように通りは静かになったが、旅籠の中は、旅の疲れをいやしている人々の声が、そこここに満ち溢れてにぎやかである。

「しかし、あの百姓たちには助けられた。くるまに乗せてここまで運んでくれて、金のためではない、自分のためでもあるというのだからな」

「ウーン、世の中には損得抜きで動いてくれる人間がいるんですかね。暗報さんを助けても、何の得にもならんでしょうに」

不意にザーッという音が聞えて、瓦や地面を叩く音が聞こえてくる。

雨が、降り出したのであった。

暗報は、雨戸を閉めようと、障子を開けた。

向かいの店の軒先で雨宿りをしているのか、男たちの姿が見える。

「暗報さん、なにか階下が静かになった気がしませんか」

暗報に宮内平蔵が、聞いてくる。

「外は雨でうるさくなり、中は物音ひとつしなくなった。情けは自分のためか・・・・・・」

暗報は振り向きもせず、つぶやくようにいった。

「暗報さん、夜の雨には松が似合ったよな。」

「平蔵、唐崎神社で逢おう」

そういうのと、廊下側の障子が蹴破られるのは同時であった。

暗殺隊の一人が声もたてず、斬り込んだのだ。

「ウグッ」

その者の心臓を、一瞬にして宮内平蔵の剣が貫き、突き入れた剣を平蔵は、ひねりながら抜いた。

飛び込んだ者の全身に向かうはずだった血が、外に噴出した。

部屋は血の海となった。

次に入ってきた暗殺者は、血に足元をすくわれ、体勢を立て直そうとしたときには、平蔵の刀に胸板を突き刺されていた。

平蔵は、すぐさま抜き戻す。

暗報は、小さな丸い玉をだすと、廊下に投げた。

パーンとはじけた玉から白い煙がでる。

暗報特製のしびれ薬の粉がが廊下に充満する。

平蔵が、通りに飛び降りた。

薬をかがないのと、先に出て、暗報の血路を開いてやるためである。

以下134に続く

2007年5月18日 (金)

琵琶湖伝132「暗報感激する」

琵琶湖伝132「暗報感激する」

高西暗報に山内記念と霧隠才蔵が会えたのは、まさに天運であった。

東海道を上って草津宿にゆく手前の街道に、妙な「ハゲ」た素浪人が立ち尽くしているという話を、旅の薬売りから聞いたのは、瀬田の東光寺そばの小さな茶店で遅めの昼食をとったときであった。

そこで山内記念と霧隠才蔵は、失敗覚悟で近くの庄屋で野良着を借り百姓に変装し、自分たちの衣服や刀などを大津の近江屋に運ぶようにその家の者たちに頼んで、街道にむかった。

そして眼にしたのが、なぜか身動きできず、中腰のままに驚いた顔で立っている、ハゲの小男で汚い着物を身につけた浪人であった。

「どうされました」

山内が、高西暗報の正面から声を掛ける。

「おぉ、心配してくれるか。どうも体がさっぱり言うことを利かぬ。情けをかけてくれぬか」

山内と才蔵は、この男が「問題の」男か見当がつかなかった。

悩んだときは中途半端に答えるしかない。

二人で声を合わせたかのように、

「はぁっ」

といった。

「おぉ、おぉ、助けてくれるか。ありがたい。大津に青葉屋という旅籠がある。そこにつれていってくれ。頼む」

山内が、問題の男か否かに関係することを問う。

「そこで、どなたかお待ちでございますか」

「そうなのだ、そこに宮内平蔵というバカがおってな。これがわしの仲間なのだ。そいつならわしのこの状態を解決してくれるはずなのだ」

(バカはお前だ)

と二人は思わずいいかけたが、そこは我慢し、

「お前様の名前を聞いてもよろしいでしょうか」

という。

「そうだな。名もいわずに親切をもらうのは、横着だな。わしは、高西暗報だ。よろしくね」

暗報の言葉に対し、山内は「伊作」、才蔵は「万作」とその場そのぎの名前で取り繕う。

すぐに才蔵が近所の家から大八車を譲り受けてくる。

そして、二人で、暗報を抱え上げ大八車に乗せた。

暗報は、涙ぐみながら、

「すまぬ、すまぬ」

と感謝の言葉を述べ、

「おぬしらも忙しいであろうに」

と気遣う。

「いやぁ、大津の米屋に帰るところでございます。ご心配なく」

笑いながら二人は、暗報に答える。

「わしは家族に恵まれぬ者でな、人の優しさが本当に身にしみるのよ」

暗報は、独り言のようにつぶやいている。

(今ここでこの男を殺すのは簡単だが、宮内平蔵のところまで連れていってもらわぬとな)

山内記念と霧隠才蔵が、眼と眼で言葉を交わす近江路の夕暮れであった。

以下133に続く

2007年5月14日 (月)

琵琶湖伝131「才蔵の涙」

琵琶湖伝131「才蔵の涙」

午前一時に大津にはいった暗報と平蔵は、烏丸家なじみの旅籠屋「青葉屋」の戸を叩き、すでに休んでいた店のものを起こし、極秘裏に泊めてもらう。

「青葉屋」は、二人にとって大津唯一の安全地帯である。

ただし暗報は茶をすすっただけで、一人、草津にむかう。

おそらく今夜殺したものの仲間が、大津近辺を血眼でさがすのは眼に見えている。

そのとき、探すのは平蔵の顔であり、暗報の顔は割れてないであろう。

烏丸邸をでたときから、平蔵は尾行がついていることに気づいていた。

そいつらをいつ殺すかの、機会をうかがいながらの大津行きでもあった。

編み笠に隠れた暗報の顔は、割れていない、と考えるのに無理はない。

そして自分の顔は割れている。

平蔵が暗報に単独行動を提案したとき、暗報は即座に平蔵の意を解し、東海道を下っていったのである。

同じころ、霧が深く立ち込めだした真夜中の逢坂山の坂を、声を殺して泣きながら下っていく霧隠才蔵の姿があった。

坂を上り、下りにかかる蝉丸神社の草むらに、かすかに光る忍び火を見逃さなかったのは、才蔵自身であった。

そしてその二つの遺体を最初にみつけたのも。

もし己が京に報告に戻らねば、いや死んだものが戻っていたら、

「お前が一番若いから」

という理由だけで、才蔵は、所司代のものが来ていたらいけないと暗報の家に戻されたのだ。

人の生死を分けるのは偶然か。

その不条理が才蔵の精神のバランスを崩し、さっきまでいっしょに生きていた者たちが消失した感覚が悲しみを生み、涙をとめどないものにした。

暗殺隊の責任者である喜市包厳も才蔵の忍び泣きに同調し、泣きたくてたまらなくなった。

(泣くのは、宮内平蔵と編み笠の男を殺してからだ)

そう自分を奮い立たせ、大津宿に入る。

大津には、伊賀者の隠れ宿「近江屋」があり、見かけは普通の旅籠で、かなりの評判である。

喜市包厳は、近江屋の手前で暗殺隊の足をとめさせた。

自分を含めて伊賀者十二名、同心八名。

「才蔵、編み笠の男について何か特徴はないか」

わざとぶっきらぼうに、声をかける。

「はい、・・・・・・今考えますと、かなりの小男で、着物がみすぼらしい感じで、一度笠を脱いだのが、遠目に見えて、その頭が・・・・・・何か光ったような」

「それはハゲではないか」

伊賀者の中から声が挙がる。

「こらっ」

それを叱る声。

実は喜市包厳は、見事なほど毛のない「ハゲ」なのである。

「いいや、叱るな。遠目で光って見えるとは、相当な「ハゲ」だな」

喜市は深刻な顔をし、己の頭をなでた。

「クッ」

何人かは、その様子のおかしさに吹き出しそうになる。

若干、和らいだ空気が流れたところで、

「近江屋を捜索の本部とし、わしと副組頭の藤木陣内が控える。他は二人一組で宮内平蔵とハゲの小男で汚い着物を身につけた浪人を探せ」

と指示をだした。

さらには、全員が宮内の顔を知っている伊賀者と同心で一組とした。

伊賀者だけの組が一つできたがしかたない。

また落ち込みようの激しい霧隠才蔵には、同心の中の責任者である山内記念に組んでもらった。

山内ならなんとか才蔵をうまく動かしてくれると思ったのだ。

暗殺隊を大津近辺に散らばらせるからには、全員がそろって攻撃ができるわけもなく、見つけた時点で近江屋に知らせるようにと厳命した。

西へ東へと散らばっていくなかで、山内と才蔵の組にはしばらく残ってもらった。

攻撃の人員不足を補うために喜市は、大津を管轄する膳所(ぜぜ 滋賀県大津氏膳所)藩に急いで応援依頼を申し込もうと考えていた。

そのとき、正式な所司代の役人がいたほうが、話が円滑にゆくというものである。

一六〇一年、徳川家康は、大津城を廃城にして大津と瀬田の間の膳所に城を造る。

藩名も大津藩から膳所藩に変わる。

膳所藩は三万石であり、藩主は徳川家譜代の戸田 一西(とだ かずあき)。

琵琶湖のしじみ漁などに力をいれ、関ヶ原の戦いの影響で荒廃した大津地域の復興に全力を傾注していた。

その膳所城内で、夜が明けきらぬうちに、喜市と山内は膳所藩の奉行、世良次郎三郎と面会し、藩内の腕達者を六名、昼までに近江屋に送ることを約してもらった。

喜市たちが、城の外に出たのは、空が明けだしたころである。

「今からどちらに向かいますか」

喜市は山内に問うた。

「ここまで来たなら、草津方面をまわろうかと」

山内が答える。

「努力はしてもらいたいが、最後は天運と思えよ」

喜市は、霧隠才蔵の顔を覗き込んで、優しげにいった。

以下百三十二に続く

2007年5月12日 (土)

第二部琵琶湖決戦編130「ゆれる明かり」

第二部琵琶湖決戦編130「ゆれる明かり」

「かなりの人数か」

高西暗報がひとりごとのようにいった。

「そのようで」

他人ごとのようにうなずいたのは、宮内平蔵。

平蔵は、この日の夜、烏丸中将成幹より命令を受ける。

「明日のいつごろかはわからぬが、井原正英と市来良之介というものが、東海道をのぼってくる。街道の分岐点となる草津の手前の街道沿いで張れば、必ずそのものたちと会う。そこで二人を殺してもらいたい。かなり手ごわい相手なので、高西暗報を連れてゆくように」

とのことであった。

殺すべき二人の身体的特徴と似顔絵をもらい、そのまま烏丸邸を出て、暗報を誘い夜の京の町を大津に、そして、草津にむかった。

暗報の住居の近くの五条橋から大津まで二十キロも考えればよい距離であり、ふたりは、平蔵が持った提灯で足元を確かめながら逢坂山をめざす。

そのあいだに暗報は、正英と良之介の似顔絵を頭に叩き込んだ。

そうやって、逢坂山の坂の上りを越え、下りに入ったとき、

(おや・・・・・・)

暗報は、妙な気持ちになった。

自分たちのあとを、二人の男がつけていることは分かっていたのだが、その男たちのさらに背後から、

(ひたひたと押し寄せてくる)

気配を感じたのだ。

それが、冒頭の、

「かなりの・・・・・・」

になったわけだ。

だが、そのことで暗報も平蔵も歩みを緩めるでもなく、後ろも見ない。

月明かりのみが頼りのこの夜道で、尾行者が提灯をもってつけるはずもない。

自分たちの提灯のみが、近くにいる尾行者の頼り。

逢坂の関を通過し、蝉丸神社(浄瑠璃で有名な盲目の琵琶の名手、蝉丸を音曲の神様として奉る)に差し掛かったとき、暗報の提灯の明かりが消える。

尾行の伊賀者二人は、頼りが闇に消えたので一瞬たじろぎ、小走りになる。

ここまで来て、逃げられたのでは、苦労も水の泡。

小走りは、尾行者の自然な動きであった。

すぐに提灯の火が、ゆらりゆらりと揺れながらあらわれた。

遠目にみる伊賀者二人は、一定の距離をとり、提灯の動きを見る。

(・・・・・・)

動かない。

提灯の火はまったく、その大きさを変えない。

まさかと思いながら、腰の太刀をいつでも抜けるようにして、油断なくその火に近づいた。

なんと、提灯は蝉丸神社の入り口の木の枝にぶらさげられていたのだ。

「しまった」

「逃げられたか」

うろたえる伊賀者たちの顔が、ゆれる明かりに映し出されたとき、彼らの顔をめがけ、剣がうなった。

「ぎゃぁっ」

血けむりをあげて転倒する二つの影。

宮内平蔵は、いったん火を消し、あわてさせ、火をつけて落ち着かせ、次に明かりをとどめることで、あわてさせと尾行者に心理戦を仕掛けた。

そしてその神経を、

「逃走」

に集めさせ、精神的にまったく無防備となった一瞬を狙い、電光石火の殺人剣をふるったのだ。

「ヒヒヒヒヒヒッ」

暗報が、笑いながら闇の中から現れ、倒れ伏し動かなくなった二つの影を草むらに運びこんだ。

「暗報さん急ごう。近づいてくる足音は、十人以上はいるぞ」

「あわてない、あわてない。平蔵、いい仕事をしますねぇ。ククッ。大津の宿に入れば、もうどこにいくかはわからぬな。琵琶湖を西に行けば堅田。東に行けば、草津からは行きたい放題」

二人は、逢坂山を下り、大津に入っていく。

さきほど暗報に草むらに引きずられた伊賀者の一人が、目を開く。

苦しい息を吐きながら、ふところから、忍び火を出した。

彼は、この尾行の間、忍び火を各所に置き、後にくる者たちの道しるべとしていた。

尾行者としての仕事を全うするために、その忍び火を己の傍らに置き、絶命した。

高西暗報と宮内平蔵は、最後の仕事をして死んだ伊賀者のことなど知る由もない。

そして、最後の忍び火を発見し、怒りに打ち震える暗殺隊のことなど、なおさら知るはずがなかった。

以下131に続く

2007年5月10日 (木)

琵琶湖伝129「京都所司代動く」

琵琶湖伝129「京都所司代動く」

情けの話がかわされる前の夜のことである。

烏丸中将成幹の護衛役宮内平蔵が、烏丸邸をでたのを知った伊賀組は、烏丸邸を常時監視する十名(伊賀組は三十名が京都所司代に派遣されていて、反徳川派の公家の中で一番危険と思われる烏丸中将成幹の監視を任せられ、その監視に昼夜二交代制で十名ずつ、予備要員が十名という形であたっていた。その伊賀組組頭は喜市包厳(きいちほうげん)が勤めていた)のうち三名に尾行させ、一人を京都所司代に走らせ応援を頼んだ。

すぐに京都所司代の長官板倉勝重は、喜市包厳に対し応援部隊として予備の伊賀者十名と喜市自らの出動を命じ、さらに所司代の同心の中から腕達者の十名を喜市につけ、同心の責任者には、十手術の名手山内記念を指名した。

同心たちはすべて、浪人姿の軽装に身を変えた。

山内たち同心は全員が公家監視の勤めをしているわけではなく、残念ながら急遽呼ばれた山内は、宮内平蔵や高西暗報の顔を知らなかったのである。

板倉勝重は、烏丸中将成幹の片腕、宮内平蔵暗殺を指示する。

尾行役の三人から伝言を頼まれた岡っ引きの報告で、五条橋からやや下った民家に宮内平蔵が入ったことを知った喜市包厳以下の暗殺隊は、その民家の襲撃を図るが一足遅く、も抜けの殻であった。

二十人もの打ち手をだして、何の成果もなしでは、喜市の進退が問われてもおかしくない。

民家で思案に暮れていた喜市のもとに、烏丸邸からの三人の尾行役の一人、霧隠才蔵が戻ってくる。

全力で駆けてきた才蔵は、息を切らしながら、宮内と編み笠の浪人が、山科方面に移動中、まだここから六キロもないところにいるはずで、走っても馬でいっても間に合うといった。

その報告を聞くか聞かぬかのうちに、足に自信のある、伊賀者全員が外に飛び出す。

当然、才蔵も休む暇なく、走り出す。

山内記念は、同心二人を、この家に残し、

「この家の持ち主について調べよ」

と命じ、他の同心たちを引き連れ、伊賀者に続いた。

暗殺隊の一行は途中で足を緩める。

尾行の伊賀者が、道々に忍び火(しのびび わずかな光を放ついまでいう蛍光塗料をぬった小さな筒)を置きだしたのだ。

才蔵をいれて二十名もの集団が、いっぺんに近づいては気づかれて逃げられるであろう。

ここは先をゆく伊賀者二名のものからつかず離れずの距離をとり、追尾するしかない。

山科周辺は古くから交通が盛んであり、大津宿へ抜ける逢坂の関が東海道の要所として知られていた。

また逢坂から南へ抜ける奈良街道も存在する。

いずれにせよ、山科方面に宮内たちが行ったということは、狙う相手がどの方面に行くにせよ、京都所司代の暗殺隊は、とにかく逢坂山まで動くということであった。

以下130に続く

2007年5月 8日 (火)

第二部琵琶湖決戦編128「情けは人のためならず」

第二部琵琶湖決戦編128「情けは人のためならず」

宮内平蔵が、土間にいってみると、暗報が大八車に仰向けに乗せられていた。

その横に二人の百姓が立っている。

一人は、四十前後か浅黒い丸顔で、百姓然としているが、どことなく学問をしているような品がある。

もう一人は、まだ若く、細身だが百姓仕事で鍛えたか、引き締まった体つきである。

「お客様、お連れの方でございますか」

店の主人らしき者が、宮内平蔵に問う。

「すまん。連れのものだ。おい、暗報さん、どうした」

主人に答えながら、暗報に声をかけた。

「平蔵か。点欠された。解いてくれ」

暗報が、わめいた。

顔を真っ赤にし、まるでゆで蛸である。

宮内平蔵は笑いながら点欠を解いてやった。

その間に、若い方の百姓がその場を去った。

フワァーッと大あくびをしながら、暗報は大八車から降り、腰の辺りを両手で押さえた。

「ずっと、動けなくて、体中が痛いわ」

平蔵にそういうと、暗報は百姓のほうを見た。

「あらまぁ、一人消えたか」

「はぁ、今、米屋に連絡に」

「おぅ、そうであったな。おぬしらは、大津の米屋に帰る途中であったな。ウン、ご苦労ご苦労。感謝しているぞ」

宮内平蔵が横から聞く。

「暗報さん、この者は」

「おう、身動きとれず、困っていたわしを、助けてくれた百姓よ。こちらは宮内平蔵というお方だ」

「は、よろしくお願いしますだ」

暗報の紹介に百姓も慇懃に応対する。

満足そうに暗報はそれを見て、平蔵にいった。

「詳しいことは、お前の部屋に戻ってから話そう」

そして暗報は懐から財布を出し、財布ごと百姓に与えた。

財布の重さに百姓は、

「こんなにもらえねぇだ」

と狼狽する。

「今、一人はおらぬが、どうか二人で山分けしてくれ。情けをもらった礼だ」

暗報の優しい物言いに百姓は、財布から二両をだし、あとは返して、

「それじゃ、二両もらっておきますだ。別に金のために助けたわけじゃねぇ。困ったときはお互い様で。情けは人のためならず、自分のためでございます。失礼しますだ」

といい、ニコリと笑って外に出て行った。

残った暗報と宮内平蔵は、宿の者たちにも頭を下げ、二階の部屋に戻った。

外に出た百姓は、青葉屋が見えなくなるまでゆったりと歩いたのち、突如、路地の暗がりの中に消えていく。

その消えた路地を抜けた所に、広い空き地があった。

百姓が、その空き地にでたとき、暗やみから、

「山内(やまのうち)様、お疲れ様でした」

という声がかかった。

声の主は、さきほど青葉屋から消えた若い方の百姓である。

山内と呼びかけられた者は、実は、京都所司代の同心山内記念(やまのうち きねん)であり、若い方は反徳川の公家衆の監視のため、家康の命で所司代付きとなっていた伊賀者のひとり、霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)であった。

山内が、眼を凝らせば、すでに才蔵の背後に十名のものが整列している。

才蔵が先にでたのは、近くにいる仲間を呼びにいったためであった。

「あやつらの命も、あとわずか。まさかあんな街道で立ちすくんでいるとは。探すのに骨が折れたわりには、あっけないもので。」

才蔵が、ほくそ笑みながらいうと、

「おい、これ」

と山内記念が分け前の一両を才蔵に渡した。

「これは・・・・・・」

「暗報さんがな、情けをかけてもらったお礼にと、くれたのよ」

「自分を今から殺す者に、金をくれたので。山内様もよくもらえましたね」

「いやぁ、私もいったんだが」

「なんとおっしゃられたので」

「情けは人のためならず、とな」

以下129に続く

2007年5月 7日 (月)

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2007年5月 6日 (日)

第二部琵琶湖決戦編百二十七「秘伝独鈷比叡剣」

第二部琵琶湖決戦編百二十七「秘伝独鈷比叡剣」

成幹は前に突き出した剣をゆっくりと手首をかえしながら回しだした。

次第にその回転の速さが増していくように宮内平蔵には思えた。

小さな風車が強風で猛烈に回りだした感じである。

そして、その風車の背後にいるはずの成幹の姿が、風車の加速度を増す回転の中に消えていったのである。

今、宮内平蔵の眼前には、すさまじい速さで回っていく剣があるのみだ。

魔剣である。

どう攻めればよいのか。

まいったといえば、それで済むが、それは武術家としての誇りが許さない。

どうせ追われる身であり、きのうも明日もないのだ。

あるのは、今日であり、今の一瞬だ。

死ぬことなど恐れては、こんな人生は送れるものか。

宮内平蔵は、刀を右斜め上にして、そのまま肩にかつぐ形をとった。

体ごと風車にぶつかり、渾身の力を込めてかついだ刀を振り下ろし所詮一本しかない剣にぶつけて、成幹の剣を折り、そのまま胸板を突こうと考えたのだ。

仕官のことなど、もうこの男の頭から消えていた。

ただ強い敵に立ち向かい、全力で勝負するという武芸者の本能が、体を支配していた。

その本能が、宮内平蔵を前に進ませようとしたとき、成幹の剣が眼前に突き出されたのである。

反射的に首をひねると右ほほに痛みを感じた。

成幹の剣が掠めたのだ。

思わず、かついだ刀を前に振ったが、すでに成幹は宮内平蔵の背後に回っている。

動こうにも成幹の剣が首筋にあたっていて、身動きがとれない。

「まいった」

心底、宮内平蔵はいった。

本当に参ったのだ。

刀を前方に投げ、両手を挙げた。

「合格じゃ。ほほの傷をふきなされ。よい度胸でおじゃる。太刀を振る速さにも感心したぞ」

成幹はそういうと、剣を納め、庭から足早に去っていった。

宮内平蔵が成幹の護衛役となったのち、成幹から直接に聞いたのだが、このときに示した技こそ、烏丸家の秘伝、伝教大師最澄直伝の独鈷比叡剣 (どっこひえいけん)であったそうな。

宮内平蔵が座る青葉屋の二階の小部屋の障子の外から、女中が声をかけた。

「お客さん、、高西暗報ってかたが土間でお客さんの名前いって、呼んでくれって騒いでるんですが」

「上にあがれといってくれぬか」

「あのぅ、ぜんぜん体が動かないみたいなんで」

そう聞くと、宮内平蔵は障子を開け、女中に礼をいい、階段を下りた。

以下百二十八に続く

2007年5月 5日 (土)

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2007年5月 4日 (金)

琵琶湖伝百二十六「宮内平蔵

琵琶湖伝百二十六「宮内平蔵」

大津の宿に、青葉屋という二階建てだがそう大きくない旅籠がある。

多くの旅籠や居酒屋が立ち並ぶ宿場町の通りの一角で昔から、細々と旅館業を営んでいた。

その青葉屋の二階の一部屋で静かに高西暗報の帰りを待つ男がいた。

名は宮内平蔵(みやうち へいぞう)

三十五歳。

長身で筋肉質だが、顔が異常に青白く陰鬱な感じを人に与える。

右頬に傷跡があり、まだ新しいのかかなり目立つものであった。

この男、もとは薩摩藩の人間であり、北薩摩の東郷(東郷重位 後年示現流剣術の始祖となる)か南薩摩の宮内かといわれた剣の達人である。

その腕を買われ、あの関ヶ原の折に、敵中突破を成功させた島津義弘の護衛役として、一五九九年まですごすが、その年の暮れ薩摩藩内で一大騒動を起こす。

なんと義弘の若い側室に懸想し、手篭めにしようとして失敗、側室と側室を守ろうとした二人の藩士を殺害、その日のうちに薩摩を逐電したのである。

義弘の怒りはすさまじく、急ぎ討ち手を差し向けるが、いづかた知れず、そのうちに時代は関が原へとむかい、宮内平蔵の件はうやむやになってしまう。

諸国を逃げ回っていた宮内平蔵は、関ヶ原で西軍が負け、島津義弘が薩摩本国に戻ったことを知り、島津とは逆に京都にむかった。

反徳川の中心人物関白九条兼孝が、しばしば京の薩摩屋敷を訪れていて、義弘の護衛役であった宮内平蔵は、なんども直接に話をしていた。

(自分の剣の腕は今の九条様には必要なはず)

という読みがあったのだ。

一六〇〇年の十月、九条兼孝の邸宅の門をたたいた宮内平蔵は、まったく無視をされ、門番たちに追い返される。

ただ、一人の門番から、無言で紙切れを手渡された。

その紙切れには、地図と烏丸の文字があり、九条兼孝が薩摩屋敷に来たときに、いつも傍らにいた、烏丸中将成幹(からすまちゅうじょうなりみき 第一部にでてきた暗器師である)という公家の顔を、宮内平蔵は思い出していた。

烏丸の門前に行くと、係りの者が庭に回れという。

庭に行くと、顔をべったりと白く塗った面長の男が、御付の者もつけず一人で待っていた。

「そちが、宮内か」

少々かん高い声で宮内平蔵に声を掛けてくる。

宮内平蔵はその場に、片ひざを地につけ、黙礼する。

「そなたの腕を、麿自ら試してつかわす」

そういうと成幹は、妙に細長い剣を抜き、左手に持つとその手を前に突き出し、半身の構えになった。

そして、

「どこからでも、かかっておじゃれ」

とやはり、かん高い声でいう。

宮内平蔵は、笑いをこらえながら立ち上がり、刀を抜き青眼に構える。

(ほどよいところで負けてやろう)

くらいの気持ちで成幹にむかった。

以下百二十七に続く

2007年5月 3日 (木)

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2007年5月 2日 (水)

琵琶湖伝百二十五「秋の午後」

琵琶湖伝百二十五「秋の午後」

正英は、起き上がるとふところから気付け薬をだして良之介にかがせ、さらに毒消しの点欠もした。

良之介は、眼を何度もまたたかせ、何が起こったのかを把握しようと躍起になった。

その様子がおかしくて、正英は笑いながら良之介を起こした。

立ち上がった良之介は、中腰のままで眼を丸くして動かずにいる、奇妙な小男を見てさらに頭が混乱したのか、首をかしげだす。

「良之介、この男は風上から毒を放ち、我らを殺そうとしたのよ」

「えっ」

良之介は合点のいかぬ顔をする。

「この男を見かけたとき、臭いが流れてきたよな。そのときは、はっきり分からなかったが、横を通りすぎたとき、臭いの正体が、しびれ薬とわかったのよ。分かったときはもう、お前は十分に嗅いでしまっていたからな。この乞食浪人がどうでるか、よし、芝居をしてやろうと思ったのだ」

「それで、お倒れに」

「ウン」

正英は、

(うまくいった)

という風情で頷いた。

正英と良之介は、点欠され身動きのとれなくなった男をみつめる。

「名を」

正英が問う。

口はきけるのだ。

「高西暗報」

正直に答えた。

「なぜ、我らを殺そうとした」

今度は良之介が問う。

「名以外は言わぬ。早く殺せ。手足を削ぎたいならそうせよ。名をいったのは、殺した奴の名くらいは、知らぬと寝覚めが悪かろうと思うてな」

「それなら、首の骨でも叩き折ってやろう」

良之介は残酷なことを薄ら笑いを浮かべていう。

正英は、腕を組んでうつむいて後、

「殺すまい」

といった。

「正英様。せめて拷問くらいはして、こやつにかかわりのある者たちの名でも吐かせましょう」

「いや、吐くまい。では、殺すかといえば、それもしたくない。きのう俺は六人もあやめた。ただ向こうから挑んできたと言い訳はできる。しかし、この身動きのとれない男を殺せるのか。俺はその気にはなれん」

「おい、わしを甘くみるな。今、殺さないとあとで後悔するぞ」

暗報が、忠告めいた言葉を口にした。

「何をえらそうに。殺してもらいたいのか」

良之介は暗報の頭をポカリとたたいた。

「お前は、身動きのとれない人間には、本当に強いな」

正英が良之介に声をかける。

「私は、自分より弱い人間には、滅茶苦茶強いんです」

冗談のような理屈を良之介は真面目な顔でいった。

正英が苦笑すると、良之介もニヤリと笑い、

「行きましょうか」

という。

「お前ら、後悔するぞ。見くびるな。おい、点欠を解かぬか。野良犬にでも襲われたらどうするのだ。わしはいつでも死ぬ覚悟はあるが、犬に殺されては、人として情けないぞ。聞こえぬのか」

正英は、点欠を解かなかった。

殺されかけたのである。

それくらいのことは、してもいいだろうと考えた。

二人が去ってゆく背後で、暗報の恨めしげな声が響く秋の午後である。

以下百二十六に続く

2007年5月 1日 (火)

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