琵琶湖伝162「菊料理と高虎と」
琵琶湖伝162「菊料理と高虎と」
「意外と菊も食べられるものですね。うまいです」
先ほどまで泣いていた良之介は、気分転換がうまいのか、明るい顔で満足げに菊料理に舌鼓を打つ。
「うんそうだな。正英、敵のことが気になろうが悩まず、今は大いに食べてくれよ。どうせわしのおごりだからな」
藤堂高虎は、陰鬱な顔をしている正英を気にかけてやる。
日吉大社で、高虎と出会った正英は、急ぎ京に行かねば、反徳川派の者たちが何をしでかすかわからぬ状況と高虎に進言するが、高虎は笑って、
「今の京都で白昼堂々と事を起こす人間などおるはずがない。夜、それも闇討ちのような形でなら起こるだろう。急ぐ必要はない。それより、せっかく坂本に来たのだ。この時期だけの料理に菊料理というのが、ここ坂本にはある。わしに付き合え」
といい、馬に乗った。
梶川小兵衛に、馬をもう二頭さがして、西教寺の近くの料理屋に来るように命じると、のんびりと馬を日吉大社からそう遠くない西教寺にむかって歩ませ始めた。
西教寺(さいきょうじ)は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は高いとは言えまいが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、多くのの末寺を有する名刹である。
明智光秀が坂本の地を支配した縁で、光秀の墓所があるところとしても知られている。
坂本では、昔より「菊を食べないと秋を迎えた気にならない」といわれるほど、松茸や栗より身近な秋の味覚のひとつとして、この土地でだけ栽培されている食用の「坂本菊」があり、鮮やかな色目と香り、しゃっきりとした食感の坂本菊を精進料理で味わおうと高虎はいうのである。
店につくと紅葉も鮮やかな庭に通され、菊料理が出される。
献立は、
前酒:菊酒(菊を一年間焼酎に漬け込んだもの)
酢物:菊のなます
和物:菊の白あえ
揚物:菊のてんぷら
椀物:胡麻豆腐の菊あんかけ
御飯:菊寿司
吸物:菊のすまし汁
香物:菊の一夜漬け
というもので、二頭の馬を調達してきた梶川も交え、四人は坂本の秋を満喫する。
ただ正英はやはり、今後のことが気になりついつい浮かない顔になる。
そのたびに高虎が正英に声をかけるのだ。
食事を終え、高虎が話したことは、正英と良之介には驚きの連続であった。
高虎が坂本にいたのは菊料理を食すためで、正英らに会ったのは偶然だが、なんと昨日まで彦根で井伊家の情報収集にあたっていたというのである。
正英については忠勝の護衛役として、大阪城などで遠くからではあるが何度か見たことがあり、昨日彦根を出るときも街中ですれ違っていたというのだ。
「おぬしたちも、井伊家を探りにきていたのであろう」
と高虎から言われたときは、正英も良之介も、
「なぜに、お分かりに」
と返すしかなかった。
高虎は、表情を変えずにいう。
「同じ任務を帯びた同士と思うたから助けたのよ。日吉大社で殺された者も本多のものであろう」
「そうです。この良之介と同じ本多家のお耳役の者たちです。五名の者が死にました」
「殺したのは、井伊か公家どもか心当たりはあるのか」
「どちらかは分かりませぬが、実行したのは高西暗報という者だと見当はついておりますが」
正英は高虎の問いに答えていく。
「高西というは、朝廷内で暗器師として仕えている烏丸家の手の者でござる。要は高西暗報は殺し屋の手先でござる」
梶川小兵衛がいった。
「五人も死んだのか。その者たちを死出の旅路に向かわせたのは、わしであり、また京都所司代の板倉勝重かもしれん。いや絶対にそうだ」
高虎は、独り言をいうかのようにつぶやいた。
以下163に続く


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