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「歴史ネットワ-ク」

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    歴史ネットワ-ク」( 略して「@Hinet」 )は、現在、WEB上で行われている色々な歴史系コンテンツを持ったサイトを総合的に集約し、皆様にご紹介して楽しんで戴こうとするホ-ムペ-ジです。  

しゃべるウサギ

灯~Akari【和洋中歴史風&歴史創作系イラスト/小説検索】

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2006年11月21日 (火)

琵琶湖伝55「征夷大将軍と源氏長者」

征夷大将軍にならぬかという朝廷の依頼のどこに罠の匂いがするのか。家康も征夷大将軍という役職は武家の棟梁を示すもので、喉から手が出るほどにほしいもので、それをわざわざ向こうからなってくれと、頼みにきたわけで、これほどの好機は、一見ないように見える。
しかし、関ケ原での家康は豊臣家の大老であり、あくまで幼き豊臣秀頼を補佐しているわけで、補佐役が勝手に武家の棟梁を宣言したなら、豊臣家からみれば逆賊であり、家康に反対する者たちに反撃の大義名分を与えかねない。第一、戦勝報告のため大阪城で秀頼に会わねばならないのである。征夷大将軍の依頼を受諾できるはずがないのだ。
受諾できないことを、わざわざ朝廷側はいいに来たわけで、受諾すれば家康は窮地に陥り、拒否すれば征夷大将軍への道は当分閉ざされることになる。どちらにせよ、家康に不利な状況を作りだす仕掛けが、眼前に張られたのであり、まさに「罠」であった。
そこで豊臣家の人間として当然のことをしたまで、征夷大将軍など分不相応と丁重に断り、朝廷の二人の使者を帰らせたのである。
「帝(みかど)も意地の悪いことをされますな」忠勝が家康にいう。
「いや帝が考えたのか、それとも誰かが帝に上奏して帝はたんに許可をしたのかは、わからん。わしは後者と思う。あまりに動きが速すぎる。関ケ原が終わって三日後だぞ。征夷大将軍になるための、朝廷工作など何もやっておらんのに、まして関白家としての豊臣があるのに、帝が、家康に征夷大将軍になってもらおうなどと、思うはずがない。日本の平和のためには、わしは将来、幕府を開きたいとは思っている。しかし、秀吉があっという間に、大恩ある織田家をつぶしたようなことはわしはしたくない。豊臣の面子も保たせ、その上で徳川が日本を平和にしていく。そのためには順序が大切だ。」
「その順序を崩しにきたのが、さっきの二人ですな」
「そういうことだ。朝廷の中に反徳川の者たちがいるのだろう。ただ勧修寺は武家伝奏職(武家についてのことを天皇や上皇へ取次ぎする公卿の役職)勧修寺晴豊の子だ。晴豊は秀吉の朝鮮出兵以来、秀吉に愛想をつかし、わしの朝廷工作の代理人となってくれている人間。その息子をよこすことで、わしと晴豊との関係に亀裂を生じさせようともしたのであろう。」
晴豊様の権威を無視して使者を出させたなら、かなり位の高い公家の中に反徳川の首魁がいそうですな」
「うん、晴豊は正二位でわしと同じ官位だ。その上はもう従一位。菊亭晴季(きくてい はるすえ)か九条兼孝しかおらん。いずれどちらかか、両方かわかるであろうが、正使の烏丸中将成幹など聞いたことのない者だ。」
「殿、これから朝廷との戦いも激しくなることが、今日はっきりわかりましたが、征夷大将軍にしばらくなれないのは残念でござるな」
忠勝は悔しそうにいったが、家康はその言い方に笑った。
「忠勝よく聞けよ。武家が日本を支配するために幕府を開くのは、源頼朝公以来の伝統であり、征夷大将軍に任命されねば幕府は開けん。だから自ら拒否したことは確かに残念だ。しかし征夷大将軍になっても官位は上がらぬ。冷静に考えれば、まずは従一位になることだ。豊臣秀頼が将来成人して関白を継げば従一位になることになる。官位で負けぬには、征夷大将軍より従一位だ。そのあとで征夷大将軍と源氏長者になれば、万全だな。」
「源氏長者とは」
忠勝が問うた。
「源氏長者とは、源氏一門の長であり、従一位の源氏の姓を名乗る者に対し天皇が任命する。室町幕府の足利義満が征夷大将軍と源氏長者を初めて兼ね、日本国王を名乗ることを許されている。当然、関白を超える権威である。武家と公家両方を納得させる権威を持ち、その上に充分な軍事力があれば、この戦乱の世に終止符が打て、千年の平和さえ夢ではない」
忠勝は家康の説明に頷きながら、日本から戦争を無くすために如何に家康が思量の限りを尽くしてきたかに思いをはせた。ただたんに天下を取るために、この人は生きてきたのではないのだ。民が半永久的に平和に生きていくためには己は何をすべきかを常に考えて生きてきた人なのだ。
熱く語る家康の瞳の中に忠勝は、平和への断固たる決意を見ていた。

以下56に続く

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2006年10月26日 (木)

琵琶湖伝な人々

小説のようなものを書きたいと思ったのは9月の初旬に「さくら」という映画を見たからで、10数年前の作品ですが、昭和40年代、バスの車掌さんが自分が働く沿線に桜を植えていく物語で篠田三郎さんの抑えた演技がすばらしかった。それがきっかけで琵琶湖伝を書こうとブログを立ち上げました。日記代わりに琵琶湖の周辺で下らん奴らが暴れまくる話を書こうと思って始めたら、どうも関ケ原書かないと具合が悪いとなって、それからいまだに関ケ原書いてるわけで、いちおう1600年9月15日の午後4時まで終わったのですが、合戦が終わっただけでそれ以降もあるし、「あかんたれ」と「仁義なき戦い」以外、頭に浮かばないので、再々再々再放送の「あかんたれ」の録画見ながら、アイデア練ってます。登場人物も増えてきて、書くために整理しないとと思いました。
「小説家になろう」ってサイトで「琵琶湖伝第1部関ケ原激闘編」というタイトルで数話にまとめて投稿してますから、第一部の琵琶湖伝な人々の主要人物ということでまとめます。
井原正英…琵琶湖伝の主人公のはずだったのですが、第二部まで脇役になります。第二部には妄想の主役がもう二人出ます。

本多忠勝…第一部の主役でしょう。そんなはずでは。

雑賀孫六…本多家お耳役元締め。有名な雑賀孫市の実弟。
梶金平と筑紫秀綱…本多家家臣。実在の人のようです。
井原英刀(いはら ぇいっとう)…本多家家臣すでに死亡。正英の父。
徳川家康…私だって知ってます。

松平忠吉…家康の四男、直政の娘婿。
井伊直政…文武両道、知勇兼備で悪い人。
木俣守勝…井伊家家臣。実在の人のようです。後の彦根城建設者。

木俣家臣団…木俣守勝と同じ性格です。
広瀬将房…井伊家家臣。実在の人のようです。

島津家の人々…全て実在の人のようです。
島津義弘…えらい人です。
島津豊久…書く予定は最初なかったのですが、調べていてハマリました。漢詩もどきは私の勝手な妄想。
長寿院盛淳…地獄の酒盛りにお連れ申そう。

以上ですが、第一部の52話以降で新登場人物としてでてきそうな人。
真田信幸…あの有名な幸村のお兄さん。いい人です。
第二部の新登場人物で実在の人のような人々(あくまで予定)。
藤堂高虎、板倉勝重、石黒将監、雑賀孫市、服部半蔵ほか多数。
今日のnikkiは終わります。

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2006年10月24日 (火)

琵琶湖伝50「島津の墓碑銘」

その刹那、何と長寿院たち五名は、一斉に腹を切り、頚動脈を掻きったのだ。
木俣守勝たちが駆け寄った時には、全員虫の息である。
長寿院を島津義弘と思い込んだ木俣守勝は、
「島津義弘様、見事なお最期」と長寿院に声をかける。
「地獄の酒盛りは、仲間同士でないと、酒がまずくなるからな」と長寿院は笑いながら絶命した。凄烈なる島津の死に様に感動し、木俣守勝は大声を挙げた。
「これが武士だ。わしは武士を見たのだ」
木俣守勝の家臣団も声を挙げる。「武士道とは死ぬことと見つけたり」「美しい死だ」「見事というしかない」賛美の大合唱となった。
しかし、その賛美の背後から、「何を、大騒ぎしておる」と怒鳴り声が聞こえた。全員が振り向くと、その声の主は井伊直政であった。木俣隊に井伊隊が追いついたのである
「殿、島津義弘様は御自害なされました」
木俣守勝が報告すると直政の顔が緩んだ。しかしすぐ不機嫌そうな顔になった。木俣守勝が島津義弘という死骸はどう見ても島津義弘ではないのだ。
「守勝、お前は私を愚弄したいのか」ビシッ…直政は手に持っていたムチで木俣守勝の前頭部を、力任せに叩いた。木俣守勝の前頭部から出た血が、顔にしたたり落ちてゆく。
「この者の、どこが島津義弘だ。私が島津の顔を知らぬと思ったか」
「いや、島津義弘と確かに申しましたが」木俣守勝が直政に反論するや、さらに木俣守勝の頭にムチが飛ぶ。
「顔も知らぬ者の言を、信じる馬鹿がどこにいる」
直政の追及に木俣守勝は、うなだれるしかなかった。すでに顔は頭から出る血で真っ赤になっている。
「もういい。馬鹿に付き合う暇はない。行くぞ」いうや直政は馬を駆けさせていった。井伊の騎馬隊が後を追ってゆく。馬の立てた土煙の中に残されたのは、木俣守勝とその家臣たちである。
すぐに家臣の一人が、己の着衣を裂き、包帯代わりに木俣守勝の頭に巻く。他の家臣は、木俣守勝の血だらけの顔を、己の持つ布でふいてやる。
「わしが至らぬばかりに、直政様を怒らせてしまった。本当にわしは、馬鹿で情けない、早とちりの人間だ」
木俣守勝は、主(あるじ)を心配そうに見つめる、家臣たちに語りかけた。
「島津義弘公を逃がそうと、己を犠牲にした者に、だまされたことは、わしの恥であり、井伊家家老として直政様に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」
「しかし、主君のために己の死をも辞さない、この者たちの姿は、我らが見習うべきもので、卑しむべきではない」
と言い、木俣隊80名のうちの半分に、ここに残り、死んだ島津兵を路傍に、一人一人、丁重に埋葬するよう指示し、あとの半分に島津追尾のための乗馬を命じた。騎馬隊の先頭に立った木俣守勝に、弔いの兵から声がした。
「殿、島津の方々の名が分かりませぬが、墓碑は如何にしましょうか」
数秒、顎に手をあてて考えたのち、木俣守勝は言う。
「島津義士の墓、と刻むべし」
以下51に続く

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2006年10月 6日 (金)

琵琶湖伝39「本多隊 追撃開始」

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敵中突破に成功した時点で島津の全兵力は、突撃時の約半数、200名強になっていた。豊久は先導役として、義弘本隊を誘導、義弘の案通り、一旦は家康本陣に向かうと見せて後、右に曲がり、伊勢街道に入る。
一方、本多忠勝本陣では、鉄砲隊150名を指揮し本陣の守りを任せられた筑紫秀綱(琵琶湖伝14運は天に在り 手柄は脚に在り参照)が正面から来る島津勢に対処するため、鉄砲隊全員に射撃準備をさせ、10名には威嚇射撃を命じた。その射撃音が合図のように島津隊は伊勢街道に入ってゆく。
本陣に戻った忠勝は、秀綱に馬上より、声をかけた。「秀綱、何故、ムダ撃ちをした」「ムダではござらん。殿がもう少し早く、お戻りならば、同じことをしたはず。島津は、本多の鉄砲を恐れて、逃げたのでござる」と何をくだらんことを聞くかという気色で秀綱は答える。
「そうもいえるな。直政と忠吉様は、島津に負けてるからな」「との、これで直政様に、お前らは本当に弱いな。島津は我らの鉄砲の音だけで逃げたのに、と死ぬまで言えますぞ。ムダではなく、意味ある威嚇でござる」秀綱は抑揚のない低い声で説明した。
「本当に弱いと言われんために、誰かさんが動き出した」と、やっと戻った梶金平がいつの間にか、秀綱の馬に、当然のようにまたがりながら口
をはさんだ。

忠勝が、遠くに眼をやると、何と松平忠吉(何度も言って恐縮だが家康の四男、井伊直政の娘婿)を先頭に忠吉の騎馬隊500が伊勢街道に向かって全速力で馬を走らせて行く。その後ろには、これも井伊直政を先頭に井伊の騎馬隊
600が。
「あやつらは、自分のため。ウン。わしは家康様本陣を横切って逃げた横着者の島津を生かさぬために追うか」と言うや、単騎、駆け出していく。
梶金平はすぐさま号令を発する。「騎馬隊のみで殿のあとを追う。他は残り秀綱の指図に従え。いくぞ」言うや梶金平は、秀綱に「ワハハハッ、秀綱、わしが先頭じゃ、わしが主役だ」とわめきながら駆け出していった。
その後を本多騎馬隊が続き、数秒後には梶金平を騎馬隊全員が追い越していく。
馬の立てる土埃(つちぼこり)の中でむせびながら、筑紫秀綱は思った。 「金平が乗ってる馬って、絶対にオレのだよな」

2006年10月 5日 (木)

琵琶湖伝37「梶金平 危うし」

忠勝が動きを見るや、本多勢も方向転回をし、主(あるじ)を追う。
井原正英も皆について馬を走らせるが、梶金平が石田陣内にいたことを思い出し、馬を返した。戻る途中でこちらに向かい走ってくる梶金平が見え、「梶さま」と正英は呼びかけた。
「助けろ、まさひでー」必死の叫び声が、正英の耳に届く。何と、梶金平の背後から、長槍の足軽6名が迫ってきているのだ。
今にも梶金平は突き殺されそうな気配である。全力で馬を駆けさせた正英
は、梶金平の正面から入り、馬を跳躍、梶金平の頭上高く飛び越え、敵の足軽どもも越え、その後方に降りる。降りるや、馬を反転、足軽どもを背後から攻める。突如の新手の出現に、驚きながらも足軽どもも、急ぎ体を回し、正英の攻めに備える。
「ウオーッ」とすさまじい声を出して、正英は足軽どもに突撃していく、足軽どもも槍を水平にし、正英に突進していく。馬上の正英と足軽の槍が、ぶつかろうとした刹那、正英の馬は二度目の跳躍をした。目標が消えた足軽どもは全員前のめりになる。
足軽どもを再度越えた正英は、着地するや止まらず、前を徒歩で走る梶金平と並走する形をとった。「梶さま、お手を」馬を駆けさせながら正英が右手をさしだす。「オウッ」と走りながら梶金平は左手を、その右手に向かい出した。その瞬間、正英は梶金平の左手を持ち上
げ、梶金平は地面を力強く蹴った。梶金平の体は宙に浮き、そして正英の馬の背の人となる。
「正英、すまん」正英の背中にしがみついた梶金平が言えば、「なんのこれしき」と正英は答え、本多忠勝の陣を目指し、馬にムチを入れた

「ドス」「ドス」
と足軽どもが、悔しまぎれに投げた槍が地面に刺さる音がする。当然、一心不乱に戻る、正英たちに聞こえるはずもなく、あとに残るは土煙のみであった。

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2006年10月 3日 (火)

琵琶湖伝35「本多義士伝」

銃弾が銃口から出てくるのが見えた忠勝は、即座に愛馬、三国黒の鞍から5メートルほど真上に飛び上がる。的をなくした弾丸が主が消えた三国黒に命中し三国黒は絶命する。
飛び上がった忠勝は、手にもつ槍を頭上で猛烈に旋回させ、ヘリコプターよろしく、フワリフワリと宙を浮き、5名の石田鉄砲衆の背後に降り立つ。その5名が背後の忠勝に対しようと、ふりむけば、待ち受けた忠勝の、横殴りの槍の一旋、5名全員、頚動脈を削がれ、落命する。

「とのー」梶金平(かじきんぺい)が馬を駆り、忠勝の救出に向かえば、その梶の背後から、3名の石田足軽衆が手に手に刀を持ち、襲いかからんとする。

忠勝はあわてず、己が槍を放つ。「ウグググッ」3名の足軽は、忠勝の槍に串刺しにされ、悶死する。
「こんぺい、助太刀無用」と忠勝が言えば、
「わしゃ、きんぺいじゃ、こんぺいではない、……との、うしろじゃー」梶金平が叫ぶ。
忠勝が振り向けば、槍を放した今が機会と、石田の足軽、8名がおのおの長槍を手にして、突進してくる。忠勝は、「クハーッ」と息吹をし、全身に気をそそぎこむや、両の腕で寄せてくる8本の槍を払いながら、そのまま腕を
円運動させ両脇に、4本ずつ、槍を抱え込み、抱えた両腕に力を込め全てをへし折る。槍を折られた足軽たちは呆然としてその場に立ちすくんだ。
次の瞬間、忠勝は、抱えた両腕を手のひらを見せながら前に突き出すせば、両脇に位置した、折れた槍たちが、弾き出され、足軽たちを襲う。8名の足軽は各自の胸板をその槍に貫かれ、ゆるやかに背後に倒れていった。
「との、すごすぎるよ、久しぶりにみたよ。一言坂(琵琶湖伝7参照)以来だなぁ」梶金平が驚嘆の声を挙げながら近づいてきた。そして忠勝の前に来ると、馬から降りた。
「こらぁ、こんぺい、早く石田の本陣にいかんか」
馬から降りた梶金平を忠勝が叱る。
「殿こそ、早く、わしの馬に乗れ。主(あるじ)がいくら強いとはいえ、足軽同様に戦って、家来が馬に乗れるかよ。早く乗ってくれ」
それは梶金平の心からの思いであった。
「きんぺい、ありがとう」
梶金平の名を、思わず真面目に呼ぶ、忠勝であった。
 (
以下36算盤(そろばん)玉の怪」に続く)
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2006年9月30日 (土)

夕陽と東尋坊

北陸屈指の景勝地 東尋坊と夕陽
日本海の荒波をうけた1kmに及ぶ柱状の断崖は、迫力満点。中でも東尋坊大池は高さ50mもあり、圧巻。
サイト下マイフォトに写真8枚置きました。

2006年9月28日 (木)

琵琶湖伝30「島津義弘 励まされる」

「義弘様、どうなされた」
その声で義弘がうつむいていた顔を上げると、声の主は家老の新納旅庵(にいろ りょあん)であった。いつのまにか来ていたのだ。そして新納のまわりには、桂 忠詮(かつら ただのり)、山田 有栄(やまだ ありなが)の顔もあった。
豊久と長寿院を含め、義弘の周りにいる5人は全て秀吉の朝鮮出兵の最終戦といえる1598年の泗川(しせん)の戦いに従軍したものたちである。泗川(しせん)の戦いは朝鮮半島南部の泗川で島津軍が単独で明、朝鮮連合軍と戦い明、朝軍に壊滅的打撃を与えた大会戦である。いわばこの5人は、義弘と朝鮮で死線を乗り越えてきた義弘の同志ともいえる存在であった。
「殿、うっとうしい顔をしたらいけんぞ」

言ったのは桂忠詮である。年は43歳。この20年以上を義弘の下で闘い、数々の武功を挙げた猛者として知られている。
「一言、わしのために、みんな死んでくれ、と言えばいい」
とズバリ指摘したのは、山田有栄である。父は亡き山田有信。有信の優秀さは島津4兄弟も認めた人物であり、父の血は脈々と有栄に流れている。年は、弱冠22歳。
有栄の言を受けた直後、豊久を生かす案が、義弘にひらめく。そうじゃ、わしのために、みんな死んでくれというのは、わしを囲み守るもの共のことだ。わしは輿(こし)にかつがれて動く。その姿は目立つに決まっている。当然、敵はわしに向かってくる。豊久を先鋒にして、道を切り開かせれば、ウン、あやつの家臣どもの力量なら…、豊久を守り、猛烈に前進していくであろう。豊久の生きる可能性はある。豊久が先鋒じゃ。
義弘は意を決し、家臣たちを見た。 
 (以下31「島津 奔(はし)る1」に続く)
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2006年9月21日 (木)

私の好きな詩 「しらなみ」

イメージ写真 サイト下マイフォトをご覧ください。

http://1582nouzi.cocolog-nifty.com/photos/poem/index.html

叙情詩人中野重治の才能に乾杯。彼の全存在が醸し出す抒情性は理性の奥にある感性の総体としての天来の抒情として海原から寄せてくるしらなみのように永遠に我々の心に迫ってくると勝手に思ってます。

2006年9月19日 (火)

琵琶湖伝18 赤色エレジーその2

その牛の瞳が40年後の今、孫六の脳内をすさまじいスピードで駆け巡ってゆく。
あの牛の恨めしげな瞳が孫六の間脳の視床下部に達したとき、孫六のホメオスタシス(体内の状態を一定に保つこと)は異常反応を引き起こした。
「ウォー」と叫びながら孫六は立ち上がり、両腕を一直線に天に向かって伸ばし、耳につけた。
傍らの木俣守勝が「いかがなされた」と問いかけるや、孫六は「モォーッ」と鳴いたのである。
「お気を、確かに」守勝が恐る恐る尋ねると、両腕を空に向かわしたまま、さらに「モォーッ」「モォーッ」と二度鳴いた。
哀れ、哀れ、哀れ、哀れ、哀れ好漢、雑賀孫六よ。
己が40年、意識の底に眠らせていた牛殺しの原罪を贖うため、己が身を畜生界に落としてしまったのだ。
天に向かって伸ばした両の腕は、牛の角の具現化であった。
「落ち着かれよ、落ち着かれよ、孫六殿」
木俣守勝は心からの気遣いをする。
その様子を冷淡に見ていた井伊直政は
「あのアホ主人(忠勝)にして、この家臣か」
とせせら笑うのであった。
  (以下19「赤色エレジーその3」に続く)

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琵琶湖伝17「赤色エレジー1」

孫市の胴を牛の角が貫いたと見えた瞬間、孫市は宙に舞い上がり、クルクルと回転しながら、牛の背後に降り立った。目標をなくし加速度もついている牛はそのまま崖を越え海に、と思われたが牛もさるもの、前の両足は崖の外にでたが後ろ足で踏ん張る。
生死は天命とその場を去ろうとした孫市は孫六を探した。
何と孫六は「牛ちゃん、牛ちゃん」と牛に近づき、牛のお尻をなでたのだ。そのわずかな力の働きが、生死のバランスを崩した。
牛は少しずつ死に向かい前進していく。
君はなんという事をしてくれたんだと、牛の大きな大きな瞳が孫六に訴え、その瞳が孫六の視界から、ゆっくりと消えたとき、牛は自然の摂理としての落下運動を海に向かいしたのである。
「ごめんなさい、ごめんなさい、牛ちゃん」
幼き孫六は泣く以外の手段を持っていなかった。
 (以下18「赤色エレジー2」に続く)
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2006年9月18日 (月)

琵琶湖伝16「失われし時を求めて」

その直政の陣に雑賀孫六は忠勝の口上を伝えに行ったのである。
そこはまさに赤色の世界であった。会う兵士会う兵士全てが頭のテッペンから足の爪のさきまで赤で統一され旗も陣に張る幕も赤。赤、赤、赤の洪水の中、孫六の視神経は彼の脳にある刺激を与えた。その刺激は彼の脳内に眠り、数十年間動こうとしなかったものを意識の世界に押し出す効果を生んだ。
しかし彼の意識はその現出を阻んでいた。木俣守勝に誘導され、直政の前にでた瞬間、あまりの赤の鮮やかさに孫六は眼を奪われた。全身を埋めるその赤は直政を炎の化身のように思わせ、その衝撃から孫六は作法としてひざまずくとき、前のめりになった。
その体勢を直そうとした刹那、意識のたががはずれ、眠っていた失われし時が蘇ったのである。
それは兄の孫市が十四歳、孫六が四歳の40年前の夏のことであった。
海で遊んでいた二人は鬼ごっこをして断崖絶壁の縁までいってしまう。「兄ちゃん、こわい」あと1メートルくらいで海に落ちそうなその位置は幼い孫六の恐怖を誘うに充分であった。「孫六、こんなとこまで来てごめんね」と孫市が弟の手を引き、帰ろうと振り向くと、なんと二人の10メートルほど前で、牛がその大きな眼をぎらつかせ、こちらをみていたのだ。
当然だが、夏の海辺、二人はふんどしのみである。孫市は白、孫六は……赤色であった。赤色が牛をどう猛にすることを知っていた孫市は孫六から赤ふんどしをはずさせ、赤ふんを手にするや、横に飛び崖を背にした。孫六を危険から離すためである。
赤ふんの移動を確認した牛は猛然と赤ふんめがけて突進した。「にいちゃーん」孫六は兄の危機に声を挙げた。
  (以下17「赤色エレジー1」に続く)

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琵琶湖伝15 井伊直政の人間性

井伊直政は遠江国井伊谷に名門の地方豪族の子として生まれた。父が二歳で死に家が没落十五歳まで苦労辛酸をなめる。1575年すでに三河遠江の二国を領有し居城を浜松に置いていた家康は、井伊家の没落を憂い、直政を家臣に加える。
以後の武功はすさまじく、その功で1582年には武田家滅亡後不遇をかこっていた旧武田家家臣団を家康が取り立て、直政に付け、さらに家康直属の武将であった木俣守勝も与えた。その際、直政は武田家の有力武将達が用いた赤備えを採用し、兜、甲冑、具足に旗まで全てを赤色に統一し、井伊の赤備えとか赤鬼と言われることになる。
また何度も書いたが直政の娘は家康の四男松平忠吉に嫁いでおり、徳川家との縁戚関係も強い。
家康に出会うまでの直政が厳冬としたら、それ以後は陽春である。ただし厳冬に戻らぬためにひたすら家康に功名を示し、その存在意義を高らしめるのに努め、ために己にも家臣にも厳しく怜悧な思量をする人間でもあった。
  (以下16「失われし時を求めて」に続く)

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2006年9月17日 (日)

琵琶湖伝14運は天に在り 手柄は脚に在り

梶金平(かじ きんぺい)筑紫秀綱は本多家を長年支えてきた武将である。さらに筑紫には、我が陣は家康様本陣を守る旗本衆の前面にある。もし敵、来襲せば玉砕の覚悟で旗本衆に敵の影さえ見せぬように奮戦せよと下知し、足軽隊には、騎馬の後を人力で駆けるは大変だが、騎馬隊が倒した敵兵の首級をあげるのを今日の仕事としてくれと優しく言葉をかけ、最後に大音声を発した。
「千年の平和のため、三成公の首、頂戴に、参る」
「運は天に在り。鎧は胸に在り。手柄は脚に在り。」
「天地都在我心中(天地全て我が心の中に在りという意味で、此の時忠勝はテンティツゥザイウォシンジョンと中国語で発音したと伝えられている)
「テンティツゥザイウォシンジョン」部隊全員が唱和する。
「わしに続け、アッチョー」
忠勝が愛馬三国黒に鞭をいれ凄まじい速さで駆け出すと、突撃隊が巨大な塊となり忠勝を追った。
正英も十年来の大合戦に身震いしながら馬を追った。この本多家のもの全員が俺と同じに大多喜にきて以来、平和の味をかみしめてきた。その間、忠勝様は毎日のように我らを鍛えられた。それはこの日を予感されていたからだ。
家康様は
先ほど「この戦(いくさ)は平和の門を開けるため」と言われたが、我らの進撃は、平和の門を完全に開け、決して閉じさせないためだ。
正英はその観念が心の底から噴出してくるのを感じ、さらに強く馬に鞭をいれるのであった。
  
(以下15井伊直政の人間性」に続く)

琵琶湖伝12 紀州雑賀の孫六登場

自身が陣に戻った忠勝が「集合」と声を出すや、一瞬に隊列が整う。縦に騎馬、足軽、鉄砲の順。
「雑賀孫六は」「おう」「島津、石田の状況」「現在、島津5百そのうち鉄砲三百騎馬二百、石田二千五百鉄砲六百、さすがに朝からの激戦、人数へるもそれぞれ士気旺盛」
雑賀孫六は日本一の鉄砲傭兵集団といわれた紀州雑賀党頭領、雑賀孫市の実弟であり鉄砲、剣術、拳法の技に優れ、1585年3月の秀吉の紀州征伐で雑賀党壊滅後、諸国放浪中の1590年、同年家康の関東入国に伴い大多喜藩、現在の千葉県大多喜市、に十万石で封じられた本多忠勝と出会い、その家臣となった。
忠勝はお耳役という情報組織を創り、その頭に孫六をあてた。お耳役はわずか10名の小組織だが本多家中、旧雑賀衆、大多喜の民の中から孫六自ら選んだ拳法の達人集団でもある。
騎乗のままの孫六の報告を聞いた忠勝は
「孫六、急ぎ直政の陣に行き、直政様と忠吉様の助太刀に主人忠勝、今から島津勢に突撃いたす、と述べよ。その後、おぬしは笹尾山に向かう我が部隊に参加せよ。」
「笹尾山は三成では」と孫六が首をかしげると、
「わからぬか。」と忠勝が口元を緩ませた。
即座に孫六はポーンと手を打ち、
「なるほど。直政様と忠吉様の助太刀に主人忠勝、今から島津勢に突撃いたすとの口上、伝えに行きまする。」
孫六は直政の陣に急行した。忠勝の傍らの正英が口を開いた。
「わかりませぬが…」
  (以下13「忠勝の狙い」に続く)
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琵琶湖伝11 忠勝の心意気

傍らで聞いていた井原正英は忠勝のいつものわんぱく駄々っ子おやじぶりに、おかしくて吹き出しそうになるのをこらえていた。その正英に忠勝が正英の背後に立て掛けてある蜻蛉切(とんぼきり)を取ってくれと声をかけた。蜻蛉切は御手杵(おてぎね)、日本号(にほんごう)とともに天下三名槍(てんかさんめいそう)といわれた2メートル50はあろうかという長槍である.普段の忠勝は1メートルほどの槍を寝るまで離さない人間だが合戦場ではやはり蜻蛉切なのだ。
正英から手渡された蜻蛉切
を忠勝は右手に持つと頭上で一旋し、家康に声をかけた。
「直政とあんたの息子じゃ、らちが明かん。島津に手間取り三成の首にあやつらは手が届かんがな。黒田長政細川忠興加藤嘉明など今、三成を攻めているのは他家ばかり。三成退治に行って参る。」
と言い踵を返した忠勝を家康が制止する。
「待て、おぬしの兵はわずか五百ぞ。死ぬぞ。」
「騎馬三百、鉄砲百五十、足軽五十だ。鉄砲隊は残す。」
「行くな、危険すぎる。」
「日本のため平和のため民のため徳川のため、家康様のために。し、ね、る。」と片眼をつぶってお茶目に言い、「それと。」と付け加えた。
「それと何だ。」家康が問う。
本多忠勝とわしが鍛えた兵をなめるなよ」
「おめぇ。」
言うが陣を去り、井原正英も家康に一礼し後を追う。一人残された家康は
確かにな。忠勝はじめ本多家の奴って、人間離れしてるの多いもんね」
と納得気につぶやくのであった。
  
(以下12「紀州雑賀の孫六登場」に続く)

2006年9月16日 (土)

琵琶湖伝6 「父、井原英刀」

正英の父、井原英刀(いはら ぇいっとう)の氏素性は不明だが(一説には大和の柳生一族の出ともいわれるが、俗説の域をでない)、1568年乳飲み子の一子、正英を鉄の乳母車に乗せ三河岡崎城下に現れたという。
好奇心旺盛な若き本多忠勝は、その乳母車に興味をもち、英刀に話しかけたところ、妻は正英を産んだあと病で亡くなったとのこと。その英刀の物腰にただならぬものを感じた忠勝は、手合わせを所望したが、英刀は笑ってこたえない。では、こちらからと常住坐臥、手にしている1メートルほどの槍を英刀の胸に向かって全力でつきだした。
その瞬間、英刀は忠勝が見えないほどの速さで刀を抜き、穂先を切り上げ、宙に舞い上がった槍の先は、あまりに高くあがったために、とうとう落ちて来なかったのである。
英刀の超絶技に感銘した忠勝は己の家臣になることを請い、最初は固辞したものの、正英の将来を考え、英刀もこころよく承諾した。
それから4年後、英刀は戦死する。
  (以下7「一言坂と正英と」に続く)
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琵琶湖伝5 家康の決断

午前八時に開戦した関ケ原の戦いは石田三成隊と黒田長政細川忠興加藤嘉明・金森長近隊も交戦状態にはいり本格的な戦闘状態に突入した。
家康方を東軍、三成方を西軍と呼ぶなら、東西両軍はともに戦闘意欲は旺盛で 一進一退の攻防を繰り返すことになった。すでに戦闘開始から二時間以上たった頃、家康はある決断をする。
「忠勝、半蔵の報告も同じようなものばかり。つまらぬ。」
「ハハハ、押した引いたの繰り返し。綱引きですな。」
「膠着を脱するには、味方に大きな刺激を与えるのが良い。今から忠勝の陣まで本陣を移そうかと考えているが。」
「大殿が自ら前線に動けば、兵の士気も上がりますな。同意でござる。」
と感心したように忠勝もうなずく。
「忠勝様。」
とそれまで全く無言で近侍していた忠勝警護の井原正英が口を開いた。
井原正英はこの年三十二歳。身長160センチ、体重80キロと豆タンクのような体だが本多家中では居合いの達人として知られていた。

   (以下6「父、井原英刀」に続く) 

琵琶湖伝4 アホドルを探せ

「しかし、この霧が引かぬことにはその門も」と忠勝。
「ウーン、合戦にはまだだな。今、する奴はかなりの愚か者。敵と味方の区別がつかん。」
そう家康が言った時、前方、はるか遠くでパーンという破裂音がかすかに聞こえた。家康も忠勝も耳をそばだたせた。パパーンと連続した音。ついでウォーという声が。
「始まったのか。」
「御意(ぎょい)。」
「どこのアホが始めたのだ。忠勝はここにいるし。」
「御意。」
「お前以上のアホがいたのだ。」
「御意。」
「御意、御意いうな。考えろ。御意というなよ。」
「あー、うー、・・・不明に候。」
「頼りにならん参謀殿じゃ。」
家康は苦笑しながら伊賀者総支配の服部半蔵を呼んだ。
「おぬしの手の者の報告は。」
「は、福島隊の前線で鉄砲の打ち合いあり。」
「わかった、さがれ。忠勝、アホは福島正則だ。」
大殿(おおとの)といいながら家康の旗本の一人がはいってきた。
「井伊家家老、木俣守勝、殿に御目通りを乞う。」
「了解じゃ。」
と家康が言い終わらぬうちに木俣守勝が陣幕にはいってきた。
「主君、井伊直政が口上。この戦(いくさ)、徳川が戦。ならば先陣、先駆け、徳川がすべき。我、四男ご子息松平忠吉公とともに小人数で福島隊の前に出、敵、宇喜多秀家が部隊に火縄を射掛ける。ここに関ケ原の合戦、始まれり、以上。御免つかまつる。」
そう言うや、木俣守勝は風のように立ち去った。
「おおとの、アホはおみゃーの息子だぎゃ。」
そう忠勝はまじめな顔で言った。  
 (
以下5「家康の決断」に続く) 

2006年9月14日 (木)

琵琶湖伝7 天地都在我心中

「なるほど。直政様と忠吉様の助太刀に主人忠勝、今から島津勢に突撃いたすとの口上、伝えに行きまする。」
孫六は直政の陣に急行していった。
傍らの正英が口を開いた。
「わかりませぬが…」
「まーさひでー、お前は本当に馬鹿だな。自分で考える力がないのか。我らから見て正面に島津、その右北国街道を挟んで笹尾山に石田。石田に突撃すれば我が騎馬隊の側面を島津にさらすことになる。しかし迂回する暇無し。鉄砲三百のうち百でも我が側面にまわされ一斉射撃あれば、壊滅的打撃ぞ。」
「わかった。そこで殿の名をだし、直政様に島津を本気で攻撃させるんだ。」うれしそうに正英が叫んだ。「さすれば島津に兵をまわすゆとりなし。」と正英は小声で続けてうなづいた。忠勝はその挙動を無視し、
「今より、笹尾山の石田三成公の本陣に突撃する」
「梶と筑紫」「おう」「梶は突撃隊の副将、筑紫は残り、鉄砲隊を指図せよ」「了解」
梶金平
(かじ きんぺい)筑紫秀綱は本多家を長年支えてきた武将である。さらに筑紫に、我が陣は家康様本陣を守る旗本衆の前にある。もし敵、来襲せば玉砕の覚悟で旗本衆に敵の影さえ見せぬように奮戦せよと下知し、足軽隊には、騎馬の後を人力で駆けるは大変だが、騎馬隊が倒した敵兵の首級をあげるのを今日の仕事としてくれと優しく諭すことを忘れず、最後に大音声を発した。
「以上。運は天に在り。鎧は胸に在り。手柄は脚に在り。」
「天地都在我心中(天地全て我が心の中に在りという意味で、此の時忠勝はテンティツゥザイウォシンジョンと中国語で発音したと伝えられている)
「テンティツゥザイウォシンジョン」部隊全員が唱和する。
「わしに続け、アッチョー」
忠勝が愛馬三国黒に鞭をいれ凄まじい速さで駆け出すと、全部隊が巨大な塊となり忠勝を追った。
正英も十年来の大合戦に身震いしながら
馬を追った。この本多家のもの全員が俺と同じに大多喜にきて以来、平和の味をかみしめてきた。その間、忠勝様は毎日のように我らを鍛えられた。それはこの日を予感されていたからだ。
家康様は先ほど
「この戦(いくさ)は平和の門を開けるため」と言われたが、我らの進撃は、平和の門を完全に開け、決して閉じさせないためだ。正英はその観念が心の底から噴出してくるのを感じ、さらに強く馬に鞭をいれるのであった。

2006年9月13日 (水)

私の好きな詩2

浅川マキって女性歌手、もう誰も知らないでしょうね。
Just Another Honnkyアルバム「灯りともし頃」所収の傑作。
サイト下マイフォトにイメージ写真で。

2006年9月12日 (火)

私の好きな詩1

イメージ写真とともに。サイトしたマイフォトに。

アンファンスフイニー

琵琶湖伝4

午前八時に開戦した関ケ原の戦いは石田三成隊と黒田長政細川忠興加藤嘉明・金森長近隊も交戦状態となり本格的な戦闘状態に突入した。家康方を東軍、三成方を西軍と呼ぶなら、東西両軍はともに戦闘意欲は旺盛で 一進一退の攻防を繰り返すことになった。すでに戦闘開始から二時間以上経ち完璧に霧も晴れた午前十時、家康はある決断をする。
「忠勝、半蔵の報告も同じようなものばかり。つまらぬ。」
「ハハハ、押した引いたの繰り返し。綱引きですな。」
「膠着を脱するには、味方に大きな刺激を与えるのが良い。今から忠勝の陣まで本陣を移そうかと考えているが。」
「大殿が自ら前線に動けば、兵の士気も上がりますな。同意でござる。」
と感心したように忠勝はうなずく。
「忠勝様。」
それまで全く無言で近侍していた忠勝護衛の井原正英が口を開いた。井原正英はこの年四十二歳。身長160センチ、体重80キロと豆タンクのような体だがすでに二十年以上護衛役を勤める居合いの達人である。
「何だ正英。分をわきまえろ。」
と忠勝は一喝したが、家康がそれをさえぎり、自由に述べよ、ただし忠勝よりくだらんことを言えば打ち首だと怖い冗談を付け加えた。
「ありがたき仰せ。今、陣を移せばその陣、左前方の松尾山に一万五千の兵を持って待機する敵、小早川秀秋の利するところとなり、場合によっては秀秋の攻めで大殿の命にも関わらんかと。」
「忠勝、正英という良き家臣をもっておるな。この家康の命を心配してくれるか。感謝、感謝。しかしな、正英。もうこの命は天下の民のもの、この戦に勝つなら、わしの命なぞ取るに足らんものじゃ。わかるな。」
正英は家康の天下万民を思う心にふれ、子供のように感動し大きく頭を下げた。頭を上げるとき、不覚にも大粒の涙が地面に落ちていった。それを見た忠勝が正英の耳元にささやいた。
「お前は本当に馬鹿だな。考える力がないのか。小早川秀秋は徳川平和同盟の一員なの。正午になったら裏切って三成方を攻撃するの。正英ちゃん、わかった、このお馬鹿ちゃん。」
正英は失神しそうな気持ちになり、思わず家康を見た。その思いを知ってか知らずか家康は大音声を発した。
「本陣を忠勝の陣まで移す。全員出動。」
正英には家康が最後の言葉を述べたあと、舌を出したように見えた。